土器捨て場について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 04:02 UTC 版)
1989年(平成元年)の発掘時、環濠内の西側から検出された1号住居址と環濠に挟まれた、南北約20メートル、東西約5メートルの区域から土器が大量に検出された。土器捨て場で検出された土器は1989年(平成元年)の発掘時に検出された土器の約3割に達し、そのいずれもが破砕された状態であった。また土器以外には鉄鎌が1本検出されたのみであった。土器捨て場で検出された土器は、近接する1号住居址から検出された土器との接合関係が顕著に認められ、また環濠や他の住居址から検出された土器との接合関係も認められた。これらの点から住居址の土器と土器捨て場の土器は、同時期ないし極めて近い時期に投棄されたものと考えられる。このことは集落の廃絶時と土器捨て場に土器が投棄された時期は、同時期ないし極めて近接した時期であったことを示唆している。
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