国評里制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 11:04 UTC 版)
詳細は「評」を参照 大化元年(645)に始まる大化の改新の政治改革によって、地方の支配制度・行政組織も大いに転換された。大化改新の詔に郡の規定があるが、大化5年(649)に郡の前身である評が全国的に施行され、国造のクニ・支配地域を行政区画としての評にかえていき、白雉4年(653)の評の分割・新置を経て、8世紀の郡の大部分の前身の評が設けられた。 国評里制は、国造氏族を含む地方首長を任命した評督(ひょうとく)・助督(じょとく)を、中央政府から派遣された国宰(こくさい)が管轄し、7世紀半ばの孝徳朝(645~654)に陸奥・越国にもその支配体制が成立した。
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