四重櫓とは? わかりやすく解説

四重櫓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 01:16 UTC 版)

米子城」の記事における「四重櫓」の解説

天正19年1591年)に城主となった吉川広家建てた初代天守であるといわれ、中村一忠新たに5重の天守建てた後に「四重櫓」と呼んで存続させたという伝承がある。規模考慮して天守や副天守とも呼ばれる独立望楼型3重4階大型で初重平面形不整形で、石落とし出張がある。天守同じく最上層の外廻り縁高板庇覆ったことが分かっている。 古写真残っていないが、幕末櫓台小天守修築工事をしているため、外観および内部各階詳細な絵図面残っている。また米子市にある山陰歴史館米子市立義方小学校、及び鹿島家分家に四重櫓の一つずつ保存されている。

※この「四重櫓」の解説は、「米子城」の解説の一部です。
「四重櫓」を含む「米子城」の記事については、「米子城」の概要を参照ください。

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