四稜郭方面の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 11:06 UTC 版)
旧幕府軍では大鳥圭介が五稜郭北方の進入路にあたる亀田新道や桔梗野などに伝習歩兵隊、遊撃隊、陸軍隊などを配置して指揮を執っていた。5月11日早暁、新政府軍4,000名が大挙して押し寄せてきた。大鳥は東西を奔走し、自ら大砲を撃って力戦したが、夜には五稜郭に撤退した。また、旧幕府軍が五稜郭の北に急造した四稜郭では、松岡四郎次郎率いる一聯隊が防戦していたが、五稜郭との中間に位置する権現台場を新政府軍に占領されると、退路を断たれることを恐れ、五稜郭へ敗走した。
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