四回目の執政官(紀元前446年)
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「ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥス」の記事における「四回目の執政官(紀元前446年)」の解説
紀元前446年、前回から20年近く経っていたが、ティトゥス・クィンクティウスは4回目の執政官に選出された。同僚執政官はアグリッパ・フリウス・フススであった。 十人委員会(紀元前451年-紀元前449年)が独裁的になって解散させられた後、内部の反乱が再び生じていた。アエクイとウォルスキはローマの政情不安定という好機をとらえ、抵抗を受けずにラティウムを略奪した。ティトゥス・クィンクティウスは、敵軍が迫っているにも関わらずプレブスが軍務に付くことを拒否し、敵ではなくパトリキを攻撃していることに言及する演説を行い、目を覚まして協力するよう呼びかけた。彼の演説は市民に大きな影響を与えた。その後市民は喜んで軍務に付くことを希望したため、二人の執政官は軍を編成することができた。アグリッパ・フリウス・フススは軍の最高指揮権をティトゥス・クィンクティウスに渡し、自身は軍の一部を率いることとした。ローマ軍はアエクイ・ウォルスキ連合軍を撃退し、その野営地も占領して大量の戦利品を得た。その一部はラティウムでの略奪品であった。 同年、二人の執政官はラティウムの二つの都市、アルデアとアリキア(現在のアリッチャ)の領土紛争の解決を住民から要請された。トリブス民会で両国の言い分を聞いた後、プレブスの一人が、紛争地帯の領有権はローマにあると言い出した。執政官らはこの欺瞞に乗らないよう市民を説得したが、投票の結果領有権はローマのものとされた。
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