商業デザイナー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:08 UTC 版)
同年、新東宝での映画編集の仕事を経て商業デザイナーとなり、車内の吊り広告や目次のデザインなどを手がける。この頃山口瞳と出会い、のちに山口の小説『人殺し』のタイポグラフィを手がけるなど、生涯にわたる親交を結ぶ。デザイナーとしての手腕は晩年まで活かされ、自著をはじめとする本の装丁、ブックカバー、ポスター、宮本信子の楽屋暖簾などもデザインした。とくにレタリングには定評があり、映画監督の山本嘉次郎によれば「伊丹十三さんの明朝体は、日本一である。いや世界一である」と評するほどだった。
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