唐律の原型(隋代)
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577年に北周が北斉を滅ぼして華北を統一し、581年には、楊堅が、隋を建てて「文帝」となり、581年(開皇元年)に『開皇律』という新しい律を発布した。583年(開皇3年)の改正を経て、12編500箇に整理された。第2代皇帝煬帝は、「開皇律」が過酷過ぎるとして、607年(大業3年)18篇500箇条からなる『大業律』を発布した。隋を倒して、618年に唐を建てた高祖李淵は、『大業律』を廃して、『開皇律』を復活させ、『武徳律』とした。『武徳律』以後の唐律は、全て『開皇律』の篇目構成を踏襲しており、唐律の原型は、『開皇律』で定まった。
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