唐の口分田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 07:32 UTC 版)
624年、唐は前代隋の律令を参考として新たに律令を制定した。その中の田令において口分田が規定されている。唐田令では、成年男子(丁男)に100畝(1項=約5ヘクタール)を支給し、うち80畝(約4ヘクタール)を口分田として残りの20畝(約1ヘクタール)を世業田(のち永業田[えいぎょうでん]に改称)とした。 子孫代々相続可能な永業田に対して、口分田は60歳になると収公すると規定されていた。果たして長年耕作してきた田地を円滑に収公できたか、については激しい議論が戦わされており、実際には代々耕作してきた田地の一部を永業田、残りを口分田と称して建前を保ったのではないかとも考えられている。
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