和爾俊二郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 和爾俊二郎の意味・解説 

和爾俊二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 05:52 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年明治35年)8月12日[1] - 1968年昭和43年)7月12日[1][2])は、昭和期の地方公務員政治家衆議院議員大阪市助役

経歴

愛媛県[注 1]周桑郡小松町[1](現西条市小松町)で生まれる。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部を卒業した[1][2]

大阪市役所に入り[1]、大阪市書記、同理事、教育部長、民生局長などを歴任[2]。この間に入隊して陸軍工兵曹長となった[2]。1951年(昭和26年)大阪市助役に就任し3期在任した[1][2]第2室戸台風被害の救助活動に尽力し、大阪市会から感謝決議を受けた[1]

1963年(昭和38年)4月の大阪市長選挙自由民主党推薦で出馬したが落選[1]。同年11月、第30回衆議院議員総選挙大阪府第1区から自民党公認で出馬して初当選[2][3]。1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙大阪府第6区)でも再選され[4]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、自民党全国組織委員会地方組織部長、同商工副部会長、同大阪府連幹事長などを務めた[2]。その他、朝日企業取締役会長、大阪市信用金庫理事、大阪軟式庭球協会会長などにも在任した[2]

1968年7月、議員在任中に死去した[1]

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』719頁では大阪府出身。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 『愛媛県百科大事典』下、671頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』719頁。
  3. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』256頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』257頁。

参考文献

  • 『愛媛県百科大事典』下、愛媛新聞社、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  和爾俊二郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「和爾俊二郎」の関連用語

和爾俊二郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



和爾俊二郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの和爾俊二郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS