和爾経額
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和爾経額(ヘアジンアオ、生没年不詳)は清の大臣。満洲正白旗喜塔臘氏の出身。孝淑睿皇后の父であり、道光帝の外祖父にあたる。内務府総管大臣、副都統にまで昇進した。
生涯
乾隆42年(1777年)、崇慶皇太后が逝去した際、乾隆帝の命により、諴郡王弘暢、德成、和爾経額、劉浩が皇太后の陵墓である泰東陵の工事を主宰した。また、和爾経額の娘は、皇十五子・永琰に嫁いだ。
乾隆60年(1795年)、乾隆帝は永琰に譲位し、永琰は「顒琰」と改名して嘉慶帝となった。嘉慶元年(1796年)1月、喜塔臘氏は皇后に冊立され、孝淑睿皇后となった。同年2月の甲辰の日、和爾経額は追贈により三等承恩公の爵位を与えられた。
参考資料
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