和波孝禧と本作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 02:40 UTC 版)
「いつか来た道 (1959年の映画)」の記事における「和波孝禧と本作」の解説
稔役を演じた和波孝禧は、公開から46年後の2005年に、自身のウェブサイトで本作について述べている。それによると、本作は合唱団の訪日に合わせて企画された音楽映画で、監督の島耕二が出演者を探す中で和波が「目にとまったらしい」という。撮影初日、録音済の曲に合わせて演技した際に、再生された曲に違和を感じて「オーケーではありません」と告げたことを「社会に向かってものを言った瞬間」として「忘れられない」としている。合唱団と「この道」を共演する演奏は、納得がいかずに3度目までやり直した(それが映画のクライマックスでみよが演奏する際の音源となった)という。また、ヴァイオリニストとしてよりも映画出演で記憶されていることを疎ましいと思う気持ちを長く持っていたが、「あの映画が後の演奏活動にある種の助けとなったのは確かなことだ。私はその事実を素直に受け入れて、感謝すべきなのだ」と記している。
※この「和波孝禧と本作」の解説は、「いつか来た道 (1959年の映画)」の解説の一部です。
「和波孝禧と本作」を含む「いつか来た道 (1959年の映画)」の記事については、「いつか来た道 (1959年の映画)」の概要を参照ください。
- 和波孝禧と本作のページへのリンク