命どぅ宝
命どぅ宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 01:48 UTC 版)
命どぅ宝(沖縄語: ぬちどぅたから)は、沖縄語で「命こそ宝」という意味。
沖縄県出身の画家で作家の山里永吉(1902年-1989年)[1]が1932年(昭和7年)に書いた戯曲『那覇四町昔気質』[2]が原典とされ、同戯曲の幕切れに琉球処分で東京移住を命じられた尚泰王が「いくさ世(ゆ)もしまち みろく世(ゆ)もやがて 嘆(なじ)くなよ臣下(しんか) 命(ぬち)どぅ宝」(争いの世が終わり、やがて弥勒仏の世が訪れる。臣よ嘆かないでくれ、命あっての物種だ。)という琉歌を詠む台詞がある[3]。この琉歌の作者は同戯曲を書いた山里永吉とも、同戯曲の舞台で尚泰王を演じていた俳優の伊良波尹吉とも言われている[4]。
沖縄戦で集団自決から「命どぅ宝」という言葉や考えで生き残ったという証言がある。「生きかりるーうぇーかや、生ちちゅしやさ」(生きられる間は生きるべきだ)」という「命どぅ宝」の思想が表れた言葉で、渡嘉敷島の集団自決から生き残ったという証言もある。住民の目線から語られる沖縄戦の教訓の原点が「命どぅ宝」である[5]。
沖縄戦を舞台とした「命どぅ宝 ― 響け平和の鐘」と題する反戦劇は、戦争を訴える演劇として中学校の文化祭などをはじめ県内さまざまな場所で演じられている。
脚注
- ^ “沖縄コンパクト事典”. 琉球新報 (2000年7月23日). 2011年12月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 琉球処分を描いた作品。
- ^ 仲程昌徳「「首里城明渡し」小論」『日本東洋文化論集』第14号、琉球大学法文学部、2008年3月、1-28頁、CRID 1050292726807184000、hdl:20.500.12000/5788、ISSN 1345-4781、NAID 120001374469。
- ^ “「命どぅ宝」異聞/クリントン演説に疑問/大城立裕”. 琉球新報 (2003年3月1日). 2011年12月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 謝花直美『証言沖縄「集団自決」 : 慶良間諸島で何が起きたか』岩波書店〈岩波新書〉、2008年。ISBN 9784004311140。全国書誌番号:21388098。
関連項目
- ヌチドゥタカラの家 - 伊江島にある、阿波根昌鴻が自分の土地を売った資金をもとに開いた反戦平和資料館。建物外壁に上記の琉歌が書かれている。
- 泡盛 - この言葉を商品名にした泡盛「命どぅ宝」が存在する。
- 琉神マブヤー - 沖縄を守るご当地ヒーローの彼が守る、九つのマブイストーンの内の一つである。
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