呉羽分校とは? わかりやすく解説

呉羽分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:46 UTC 版)

東亜同文書院大学 (旧制)」の記事における「呉羽分校」の解説

使用時期1945年5月同年11月 所在地富山県婦負郡呉羽村小竹北緯3643分00.6秒 東経13709分51.1秒 / 北緯36.716833度 東経137.164194度 / 36.716833; 137.164194 (東亜同文書院大学呉羽分校) この校舎戦況悪化によって上海へ渡航することができなくなった新入生のために呉羽航空機呉羽工場(後の呉羽工業。元・呉羽紡績呉羽工場)の施設一部借用して設置された。7月25日開校教職員13名・内入学177名)、日課学徒動員作業4時間、授業3時間とされていた。8月2日富山大空襲直ち学生救援隊組織し活動8月16日より休校10月15日再開する11月15日授業打切り学生240名)帰郷12月廃校決定し翌年2月10日まで残務処理を行う。

※この「呉羽分校」の解説は、「東亜同文書院大学 (旧制)」の解説の一部です。
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