呉羽分校
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「東亜同文書院大学 (旧制)」の記事における「呉羽分校」の解説
使用時期: 1945年5月−同年11月 所在地:富山県婦負郡呉羽村小竹北緯36度43分00.6秒 東経137度09分51.1秒 / 北緯36.716833度 東経137.164194度 / 36.716833; 137.164194 (東亜同文書院大学呉羽分校) この校舎は戦況悪化によって上海へ渡航することができなくなった新入生のために呉羽航空機呉羽工場(後の呉羽工業。元・呉羽紡績呉羽工場)の施設の一部を借用して設置された。7月25日開校(教職員13名・内地入学生177名)、日課は学徒動員作業4時間、授業3時間とされていた。8月2日、富山大空襲後直ちに学生救援隊を組織し活動。8月16日より休校。10月15日再開するが11月15日に授業打切り、学生(240名)帰郷。12月に廃校が決定し翌年2月10日まで残務処理を行う。
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