呂64潜水艦長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 07:14 UTC 版)
「呂64」は1925年(大正末年)に竣工した老朽艦であったが、「呂63」、「呂68」とともに第七潜水戦隊隷下の第三十三潜水隊を編制していた。この部隊は第四艦隊所属であったが、1942年(昭和17年)7月にはミッドウェー海戦後のアリューシャン方面の防備を固めるため、第五艦隊に編入された。「呂64」は僚艦の呂六十型潜水艦5隻と共にキスカ島の警備にあたる。8月28日、アトカ島に米海軍水上艦艇の発見が報じられ、僚艦2隻と攻撃に向かった。「呂61」はナザン湾に侵入して雷撃を行い、水上機母艦「カスコ (AVP-12)(英語版)」を擱座させる戦果を挙げたが撃沈された。田畑はナザン湾口の監視を命じられており、「呂61」の攻撃後も監視を続けた。キスカ島へ帰投後の9月15日には空襲を受け、僚艦は損傷を受ける。第三十三潜水隊は呉鎮守府部隊に編入となり、日本へ帰還した。
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