呂布
(?~219?) | ||
建安二十四年(二一九)、関羽は樊城で曹仁を包囲したとき、別働隊として郟の城下に部将を派遣した《満寵伝》。呂布はその別働隊の指揮官であったようだ《夏侯惇伝集解》。しかし曹操は徐晃を派遣して関羽を撃破する一方《徐晃・関羽伝》、自ら軍勢を率いて郟県の摩陂において呂布軍を撃破した《夏侯惇伝》。 原文「太祖軍撃破呂布軍於摩陂」《夏侯惇伝》。これについて「呂布」を「関羽」の誤りとする趙翼・潘眉・陳景雲らの説が有力。しかし『満寵伝』には「関羽が別将を郟の城下へ派遣した」とあり、また同名呂布の存在を否定する理由はないと思われる。原文を尊重すべきである。なお盧弼は「撃破呂布軍」を衍字とみて削る。 |
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