別働隊の指揮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 08:48 UTC 版)
鄧愈は広徳の守備を任される。そこを謝再興率いる元軍が攻めるが、元軍は大敗し、総管の武世栄とその部下1000人が捕虜となった(元軍といっても、その大半は民間武装組織を元朝が公認したものにすぎなかったので、より強い組織になびくことは珍しくなかった)。1357年、鄧愈は捕虜を自軍に組み込んで宣州に移動し、胡大海と共に徽州の績渓(安徽省宣城市績渓県)・歙(安徽省黄山市歙県)を攻略した。その功で枢密院判官に任じられ、その守備を任された。
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