同時多数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/08 12:31 UTC 版)
同時多数(どうじたすう、英:Concurrent majority)とは、複数の下位集団それぞれの多数から構成される多数のことである。統治制度としては、「主要な政府の政策決定は、その決定に直接影響を受ける支配的利害集団によって承認されねばならず(中略)関与する各集団が同意を与えなければならない」[1]ことを意味する。すなわち、影響を受ける各集団の内部で同時に多数の支持が存在することが要件となる。[1]
政治原理としての同時多数は、少数派が多数派の行動を阻止できるようにする。アメリカ合衆国では、その最も声高な提唱者は少数派集団である傾向があった。[2]同時多数は、無制限な民主制のもとで生じうると提唱者が恐れた「多数者の専制」を防ぐために、社会の相互に対立する利害それぞれに一定の拒否権を付与することで設計された。
背景
アメリカ独立革命以前、多くの政府は支配的少数のエリートによって統制されていた。参政権を全く持たない人口が大多数であり、当時として民主的とみなされたスイスのような国々でさえそうであった。イギリスからの分離過程で形成された統治の構想は、こうした支配からより広い選挙権へ向かう転換を画した。その結果、専制の問題は、多数派の権力をどう制限するかという問題へと姿を変えた。
アメリカ合衆国憲法
それでも、選挙権の拡大は懸念を呼んだ。合衆国憲法の起草者たちは、国民主権を繰り返し強調しつつも、単純多数の有権者が残りの人々の自由を侵害できないよう工夫した。保護策の一つが権力分立であり、たとえばアメリカ合衆国議会の二院制や、立法・行政府・司法の三権分立である。
二院制は、特定集団を脅かしうる大衆運動への歯止めとして構想された。すなわち、下院は庶民の利益を代表し、上院は州政府(英語版)の利益を防衛する役割を担った。下院は直接選挙、上院は州議会(英語版)による選出とされた。さらに、大統領の拒否権と、後に連邦最高裁によって明確化された違憲審査権(当初は黙示的)が、絶対的多数支配への追加の障壁を形成した。やがて1960年代のウォーレン・コート(英語版)の台頭により「一人一票」の先例が確立されると、違憲審査は、そうした措置を違憲と宣言することで多数支配への障壁の多くを排除するために用いられた。
さらに、当時「連邦比率」として広く知られていた五分の三条項(英語版)は、代表配分と課税の算定において、奴隷を自由民5人に対して3人として数えることを認めた。[3]この妥協は憲法批准に向けた南部の支持を確保し、憲法の最初の50年間にわたり南部に不均衡な影響力を保証した。[3]
カルフーンと無効化
19世紀前半、サウスカロライナ州のジョン・カルフーンは、同時多数の学説を再興・展開した。彼は、工業経済を持つ北部の人口が南部より著しく多くなったことに着目した。奴隷制への依存により南部の農業経済が北部と異なるなか、人口に基づく権力の差が、南部にとって不可欠と彼が考える利害を脅かしていた。
カルフーンは、死後出版の政治理論『政治論(英語版)』[4]で、多数者の専制から投票上の少数派を守るための方法を論じた。生前の彼は、1828年に匿名で公刊した『サウスカロライナ州の意見書と抗議』で最も強力に表明したように、無効化(英語版)の主要な提唱者であった。これは、保護主義的な1828年関税法(英語版)への応答として書かれたものである。
無効化は、ジェファーソン流の「州契約説(英語版)」の派生であり、憲法の主権的当事者としての各州の権利の一部として、連邦法が違憲だと判断した場合に、その法律を州内で無効にできるとする。したがって、カルフーンの構想のもとでは、法律の成立には二種類の多数が必要となる。すなわち、連邦議会における多数と、各州の立法府それぞれにおける同時多数である。1832年、この法理によってサウスカロライナ州が1828年関税法とその後継の1832年関税法(英語版)に対し無効化条例(英語版)を可決し、無効化の危機が始まった。アンドリュー・ジャクソンは強制法(英語版)で応じたが、1833年関税法(英語版)が可決されると武力衝突は回避され、この妥協は主としてカルフーンの働きによるものであった。
関連項目
脚注
- ^ a b Peter Woll, American Government: Readings and Cases (Pearson/Longman, 2006), p. 259.
- ^ Kersh, Rogan (2004). Dreams of a More Perfect Union. Ithaca and New York: Cornell university Press. pp. 141–42.
- ^ a b Wills, Garry (2005). The Negro President: Jefferson and the Slave Power. Houghton Mifflin Harcourt. pp. xv-14.
- ^ "John C. Calhoun: Disquisition on Government". Retrieved 2015-09-27.
参考文献
- Brown, Guy Story. "Calhoun's Philosophy of Politics: A Study of A Disquisition on Government" (2000)
- Cheek, Jr., H. Lee. Calhoun And Popular Rule: The Political Theory of the Disquisition and Discourse. (2004) online edition
- Ford Jr., Lacy K. "Inventing the Concurrent Majority: Madison, Calhoun, and the Problem of Majoritarianism in American Political Thought," The Journal of Southern History, Vol. 60, No. 1 (Feb., 1994), pp. 19–58 in JSTOR
- Potter, David M., Don E. Fehrenbacher and Carl N. Degler, eds. The South and the Concurrent Majority. (1973). 89 pp., essays by scholars
- Safford, John L. "John C. Calhoun, Lani Guinier, and Minority Rights," PS: Political Science and Politics, Vol. 28, No. 2 (Jun., 1995), pp. 211–216 in JSTOR
- Loo, Andy. "John C. Calhoun’s Concurrent Majority" (2016) The Princeton Tory online version
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