同慶寺 (宇都宮市)とは? わかりやすく解説

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同慶寺 (宇都宮市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:51 UTC 版)

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同慶寺
所在地 栃木県宇都宮市竹下町1107
位置 北緯36度33分32.6秒 東経139度58分28.4秒 / 北緯36.559056度 東経139.974556度 / 36.559056; 139.974556座標: 北緯36度33分32.6秒 東経139度58分28.4秒 / 北緯36.559056度 東経139.974556度 / 36.559056; 139.974556
山号 瑞龍山
院号 養徳院
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
創建年 永仁年間(1293年 - 1299年
開山 妙哲禅師
開基 芳賀高俊
文化財 銅鐘、木造訶利帝母坐像(以上、宇都宮市指定有形文化財)
法人番号 1060005000237
同慶寺
同慶寺 (栃木県)
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同慶寺(どうけいじ)は、栃木県宇都宮市にある臨済宗妙心寺派寺院

歴史

鎌倉時代末期の[1]永仁年間(1293年 - 1299年)に[2]、芳賀高俊の開基により建立された[2][3]高峰顕日(仏国禅師)の第三法嗣である[2]妙哲禅師が当寺を開山したのに合わせて、高俊は建物などを寄進した[4]七堂伽藍を備え、広大な寺領を持つ、大寺院であった[2]

高俊は近くの飛山城を築城しており、当寺も支城としての機能を持たせるために、空堀土塁を築いた[3]。現在もその一部が遺構として残る[5]永禄年間(1558年 - 1570年)に堂宇が炎上し、芳賀高武が再建するも、宇都宮氏改易により庇護を失い、衰微した[2]江戸時代には興禅寺の兼帯となった[2]1879年(明治12年)に再び火災に遭った後、再建された[2]

墓地には、芳賀氏一族の墓がある[4]。その付近に、妙哲の墓と伝えられる供養塔がある[2]

文化財

  • 銅鐘(宇都宮市指定有形文化財 1958年〔昭和33年〕7月21日指定)[6]:戸室定国の鋳造で、享保元年(1716年)の銘がある[2]
  • 芳賀(清原)氏累代の墓碑(宇都宮市指定史跡 1958年〔昭和33年〕7月21日指定)[7]
  • 木造訶利帝母坐像(宇都宮市指定有形文化財 1975年〔昭和50年〕3月25日指定)[8]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b 栃木県歴史散歩編集委員会 編 2007, p. 34.
  2. ^ a b c d e f g h i 塙 2015, p. 173.
  3. ^ a b 栃木県歴史散歩編集委員会 編 2007, pp. 34–35.
  4. ^ a b 栃木県歴史散歩編集委員会 編『栃木県の歴史散歩(歴史散歩9)』山川出版社、2007年、34-35p
  5. ^ 栃木県歴史散歩編集委員会 編 2007, p. 35.
  6. ^ 銅鐘(同慶寺)”. 宇都宮の歴史と文化財. 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会. 2022年1月22日閲覧。
  7. ^ 芳賀(清原)氏累代の墓碑”. 宇都宮の歴史と文化財. 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会. 2022年1月22日閲覧。
  8. ^ 木造訶利帝母坐像”. 宇都宮の歴史と文化財. 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会. 2022年1月22日閲覧。

参考文献




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