吉田正 (実業家)とは? わかりやすく解説

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吉田正 (実業家)

(吉田正 (政治家) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 05:43 UTC 版)

吉田正
よしだ ただし
生年月日 1896年10月20日
出生地 日本 長野県北安曇郡池田町村
(現・長野県北安曇郡池田町
没年月日 (1969-08-19) 1969年8月19日(72歳没)
出身校 上海東亜同文書院商務科卒業
前職 全国農業会常務理事
所属政党 翼賛政治会→)
日本協同党→)
右派社会党
子女 二男・吉田亮

選挙区 (長野4区→)
旧長野4区
当選回数 2回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日
1952年10月1日 - 1953年3月14日
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吉田 正(よしだ ただし、1896年明治29年)10月20日 - 1969年昭和44年)8月19日)は、日本政治家実業家衆議院議員

経歴

長野県北安曇郡池田町村(現池田町)生まれ。旧制大町中学(現長野県大町高等学校)を経て、上海東亜同文書院商務科卒業。一旦は岩井産業(現日商岩井)に入社するが、すぐに帰郷し、1925年旧制池田実科中学(現長野県池田工業高等学校)教諭となる。

その後、農業界に転身し、全国農業会の常務理事として活躍する。同時に「協同党」を結成し、農民の代表として長野県第4区から第21回衆議院議員総選挙に当選する。

戦後、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった[1] 。追放解除後の第25回衆議院議員総選挙では日本社会党右派から立候補して当選。次の第26回衆議院議員総選挙で落選。その後は農山村問題の現実に取り組み、有畜農業の重要性に着眼し、名古屋製糖社長の横井広太郎の協力を得て1953年協同乳業を創業した。次男の吉田亮は医学者で元千葉大学学長。

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、709頁。NDLJP:1276156 

参考文献

関連項目




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