吉田斐太麻呂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 09:11 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動吉田 斐太麻呂(きった の ひだまろ)は、奈良時代の貴族・医師。姓は連。官位は従五位上・内薬正。
経歴
奈良時代前期の医師である、吉宜の近親か。
称徳朝末の神護景雲4年(770年)外従五位下に叙せられる。光仁朝の宝亀2年(771年)内薬正に任ぜられると、桓武朝初頭までの10年以上に亘ってこれを務めた。この間、宝亀10年(779年)内位の従五位下に叙せられ、光仁朝末には侍医も兼ねている。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 神護景雲4年(770年) 7月20日:外従五位下
- 宝亀2年(771年) 閏3月1日:内薬正
- 宝亀7年(776年) 3月6日:兼出雲掾
- 宝亀8年(777年) 正月25日:兼伯耆介
- 宝亀9年(778年) 2月4日:兼伊勢介
- 宝亀10年(779年) 2月9日:従五位下(内位)
- 時期不詳:兼侍医
- 宝亀11年(780年) 2月9日:兼相模介
- 天応元年(781年) 8月1日:従五位上
参考文献
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