吉田名保美とは? わかりやすく解説

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吉田名保美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 00:20 UTC 版)

よしだ なおみ

吉田 名保美
生誕 1926年(大正15年)
死没 1987年(昭和62年)8月3日(61歳没)
日本 鹿児島県指宿市
死因 溺死
国籍 日本
職業 芸能プロモーター
活動期間 昭和後期
著名な実績 森光子黒柳徹子を超一流の芸能人に育てた。
肩書き 吉田名保美事務所社長
配偶者 日下令光(演劇評論家)
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吉田 名保美(よしだ なおみ、1926年〈大正15年〉[1] - 1987年〈昭和62年〉8月3日[1])は、昭和後期に活動した芸能プロモーター。吉田名保美事務所社長。本名は日下 好江(ひのした よしえ)[1]。夫は日下令光(演劇評論家)[2]

経歴

吉田の若い頃の経歴は不明な点が多いが、安倍寧(音楽評論家)によると石田一松(演歌師)が国会議員になった際に秘書をしており、その関係で芸能界に携わるようになったという[3]

その後、『毎日新聞』の演劇記者だった日下令光と結婚[3]

昭和30年代は有島一郎南道郎のマネジメントをしており、大阪から東京に出てきた森光子菊田一夫が吉田に預けたという[3]

1966年(昭和41年)、東宝から森光子とともに独立し、吉田名保美事務所を設立[1][4]

マネジャー時代に培った人脈と企画力を駆使し、さらに歌舞伎から商業演劇にまで幅広いアンテナを持ち、同事務所を一流の芸能プロダクションに育て上げた[1]。全盛期には森光子黒柳徹子佐久間良子松原智恵子和泉雅子波乃久里子沢田亜矢子桃井かおり竹下景子[5]平幹二朗井上順[6]ら有名な俳優・女優を抱え、大物女性プロモーターとして業界では有名だった。特に森光子黒柳徹子を超一流の芸能人に育てた功績は大きい。

黒柳徹子NHKから独立する際には森光子から誘われて吉田名保美事務所に所属し、吉田の見事なスケジュール調整のおかげで黒柳徹子のニューヨーク留学はとんとん拍子に話が進んだ[4]

本多圭(芸能ジャーナリスト)は吉田名保美事務所について「山口智子天海祐希らが所属する「研音」以前に、“女優の宝庫”と称された、日本を代表する芸能事務所だった。」と述べている[7]

1987年(昭和62年)8月3日、鹿児島県指宿市の指宿シーサイドホテルのプールで遊泳中に溺れ、死去。享年61歳[2]

没後

吉田名保美事務所は吉田亡き後は規模を縮小し、現在は黒柳徹子の個人事務所として存続している。

2014年(平成26年)5月9日に「フジテレビ開局55周年スペシャルドラマ」として放送された『森光子を生きた女〜日本一愛されたお母さんは、日本一寂しい女だった〜』では市川実和子が吉田を演じた。

2016年(平成28年)に黒柳徹子と親交のある田川啓二(ビーズ刺繍デザイナー)が吉田名保美事務所の社長に就いたが、2018年(平成30年)に信頼できる知人に社長の座を譲り、一般財団法人黒栁徹子記念財団(現在は公益財団法人)の代表理事に就任した[8]。現在でも田川啓二黒柳徹子のマネジャー的存在として仕事先に同伴している[9]

脚注

出典

参考文献

書籍

雑誌

ウェブサイト

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