吉田兄人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 14:01 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動吉田 兄人(きった の えひと)は、奈良時代の貴族・医師。姓は連。典薬頭・吉宜の近親か。官位は従五位下・紫微少忠。
経歴
聖武朝の天平20年(748年)10月の皇后宮牒に正七位上・侍医兼皇后宮大属河内大目と名前が現れている[1]。
天平感宝元年(749年)、蓋高麻呂とともに正六位上から外従五位下に昇叙する。これは聖武天皇の病床に侍した労を、黄金産出を機に酬いたものと考えられている[2]。ほどなくして、皇后宮職が紫微中台に改編されると、出雲屋麻呂・中臣丸張弓・葛木戸主とともに紫微少忠となり、引き続き光明皇太后に仕えている。天平勝宝3年(751年)10月、内位の従五位下になった。
官歴
注記のないものは『続日本紀』による。
- 天平20年(748年)10月:見正七位上・侍医兼皇后宮大属河内大目(『大日本古文書』による)
- 時期不詳:正六位上
- 天平感宝元年(749年) 4月14日:外従五位下。天平勝宝元年8月10日:紫微少忠
- 天平勝宝3年(751年) 10月28日:従五位下(内位)
脚注
参考文献
- 吉田兄人のページへのリンク