古代後期の再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 17:22 UTC 版)
古代後期のアンフィポリスは、経済的に繁栄し続けたマケドニア地域の影響を受けて、豊かであった。多くのキリスト教の教会がアンフィポリスに建設されていることからも窺える。しかしそれらの教会は町のアクロポリスの城壁の内側にしか建設されておらず、城壁の外側は防御が不十分であったことが分かる。こういう理由から町の人口はかなり減少した。 それにもかかわらず、5世紀から6世紀にアンフィポリスに建設された教会は数も多く、大きさも質もかなり良いものが多い。モザイク画が床に描かれ、円柱の頭を雄ヒツジの形に施すなどの、彫刻が散りばめられた4つのバシリカは、教会の中心部が六角形の形をしており、ラヴェンナの聖ヴィタリスのバシリカのようである。このような豪華な教会が小さな町であるアンフィポリスに建設された理由として、歴史家アンドレ・ブーランジェは、ローマ帝国末期において富裕階層が地元の慈善事業に資金を投じることで、その地域における中心の教会となり、その結果その町が中心都市となることを願ったからだという。アンフィポリスはテッサロニキの属主教座が置かれ、533年に初めてアンフィポリス主教が言及されることになる。
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