南漢山城行宮 (史跡 第480号)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 02:15 UTC 版)
「南漢山城」の記事における「南漢山城行宮 (史跡 第480号)」の解説
王がソウルの宮廷から都城の外に行幸する場合、一時的な居場所とするところを行宮という。南漢山城行宮は、戦争や内乱など有事の際に後方の援軍が到着するまで、宮廷の代わりに避難所として使用するために仁祖4年(1626年)に建立された。実際に仁祖14年(1636年)に丙子の役が勃発すると、仁祖は南漢山城に避難して47日間抗戦した。以降も粛宗、英祖、正祖、哲宗、高宗などが、驪州、利川などの御陵への行幸の際に用いた。南漢山城行宮は朝鮮時代の都城の宮廷の形式に従い、闕内官庁である外朝、政務空間の治朝、王の寝所の燕朝で、3つの空間である「三朝」の原理と、前方に王の執務室があり、後方に寝所を置く「前朝後寢」の配置形態を導入した。行宮への「前朝後寢」の原理を導入したことは、南漢山城行宮を始めとし、北漢山城行宮の建設にも影響を与えた。南漢山城行宮は、宗廟と社稷を置いている唯一の行宮で、一般的な行宮にとどまらず、有事の際に一時的な首都として重要な役割を果たしたところである。
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