千葉直五郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 06:17 UTC 版)
千葉 直五郎(ちば なおごろう、1888年(明治21年)2月7日[1] - 没年不明)は、日本の商人(煙草商)[2]、会社役員。池貝鉄工所、常磐保全各監査役[3][4]。
人物
東京府人・千葉松兵衛の長男[3][5][6]。千葉恒次郎の甥[3]。銀座生まれ[1]。1926年、家督を相続する[3][4]。煙草雑貨業を営む[1]。東京在籍[6]。住所は東京市麻布区宮村町[3]、同市世田谷区玉川尾山町[4]、東京市外渋谷町緑岡[6]。
家族・親族
- 千葉家
- 祖父・眞治[7] ‐ 煙草商[8]。「松葉屋」の屋号で銀座の街頭で刻み煙草を売っていた。千葉勝五郎の義弟[9]。
- 祖母・千代(1848年 - ?、千葉常五郎の二女)[6]
- 父・千葉松兵衛(1864年 - 1926年) ‐ 東京平民、煙草製造業、千葉商会主[1]、高等演芸場取締役[2]、池貝鉄工所監査役[7]。家業の煙草商を継ぎ、輸入外国煙草に対抗して国産紙巻煙草製造の千葉商会を創業し、「牡丹」「菊世界」の銘柄を出して成功、1904年の煙草専売制により廃業し、専売公社に利権を売った金で財を成し、銀座一丁目で煙草販売店を営む傍ら各種事業に投資した[8][9][10][11][12][13]。
- 妹
- 妻・長(1891年 - ?)東京、千澤専助の三女[3][5]、田中長兵衛の孫。
- 長男・千葉常五郎(1911年 - 1998) ‐ 大日本ゴルフボール製作所社長[3]。米国アマースト大学卒業後、父親の常盤保全に入社し、戦後日本初のゴルフボール製造を始める[8]。結婚祝いに父親が建てた青山の自邸は昭和前期の大規模邸宅の遺構として登録有形文化財となっている[14][8]。
- 二男・千沢楨治 ‐ 母方の千沢家の養子となる
- 娘[3]
- 親戚
- 叔父・千葉恒次郎(池貝鉄工所副社長)
- 妹の久の夫・千葉亀之助(金融業、池貝鉄工所監査役)
- 妹のゆうの夫・広部清一郎(広部鉱業社長) - 広部銀行頭取・広部清兵衛の長男。
- 岳父・千沢専助 ‐ 米穀商、下谷銀行頭取、東洋財蓄銀行頭取。
- 相婿・千沢平三郎
脚注
- ^ a b c d 『大正名家録』チ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月11日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第16版』東京チ138頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 下』チ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』チ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月11日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』チ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月11日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第9版』チ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』ち1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月11日閲覧。
- ^ a b c d 千葉松兵衛谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
- ^ a b 日本巻煙草業者千葉松兵衛『成功と失敗』宮村無声 編 (又間精華堂, 1903)
- ^ 時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家時事新報 1916.3.29-1916.10.6 (大正5)
- ^ 千葉松兵衛君『勧業功績録. 第1編』木下敬正, 河野左十郎 編 (青年教育義会, 1904)
- ^ 千葉松兵衛君『日本ダイレクトリー : 御大典紀念』清田伊平 編 (甲寅通信社編集部、1915)
- ^ 千葉松兵衛コトバンク
- ^ ミュージアム1999(旧千葉常五郎邸)文化遺産オンライン、文化庁
参考文献
- 交詢社編『日本紳士録 第16版』交詢社、1911年。
- 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 千葉直五郎のページへのリンク