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北村文衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 15:01 UTC 版)

北村文衛

北村 文衛(きたむら ふみえ、1892年明治25年)7月25日[1] - 1957年昭和32年)1月12日[2])は、日本の衆議院議員立憲民政党)。弁護士

経歴

宮城県桃生郡鷹来村(現在の東松島市)出身。第二高等学校を経て、1917年大正6年)に京都帝国大学法科大学を卒業。大阪商船株式会社に入社し、上海神戸大阪の支店で勤務した。1923年大正12年)、仙台市に弁護士事務所を開業し、仙台弁護士会副会長を務めた。1927年(昭和2年)からは宮城県会議員に選出された。

1939年(昭和14年)、衆議院補欠選挙で当選を果たした[3]

1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。戦後、公職追放となる[4]1951年(昭和26年)追放解除[5]

その他に東北中学校理事、宮城県信用組合連合会顧問、東北特殊鋼株式会社顧問、仙台鉄道株式会社監査役を務めた。

脚注

  1. ^ 『宮城県名士宝鑑』p.192
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  3. ^ 『官報』第3666号、昭和14年3月27日。
  4. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、267頁。NDLJP:1276156 
  5. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。

参考文献

  • 『宮城県名士宝鑑』宮城県名士宝鑑発刊事務所、1940年。 
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。 



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