北島三郎との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:32 UTC 版)
最後の決意で北島三郎の仕事場に何度も足を運び頭を下げ、十数回繰り返したときに北島から突然鞄を渡された。即ち「鞄持ちになれ」という意味であり、以降2年間北島の付き人を務める(当時の北島はまだ30代と若く、筋骨隆々としていたため、甘え容赦ない修行の毎日をすごした)。25歳だった。 これを契機に1976年、読売テレビ制作の歌謡オーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場、「おもいで岬」や「中の島ブルース」などを歌って10週勝ち抜いた。本名の山本譲二名義でポニーキャニオンから再デビューしたが、鳴かず飛ばずが続く。
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