加藤恭平 (写真家)
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加藤 恭平(かとう きょうへい、1909年 - 1983年)とは、日本の報道写真系統の写真家。栃木県に生まれる。慶應義塾大学卒業。
来歴
- 1936年 - 東京工芸社を設立。(1939年 - 林忠彦が入社。写真週報の刊行にも携わったとされる。税金対策の必要性もあり、林が東京工芸社の代表を務めた時期もある。)
- 1938年 - 土門拳、濱谷浩、藤本四八、光墨弘、田村茂、林忠彦、杉山吉良らと「青年報道写真研究会」を結成
- 1942年 - 林忠彦・石津良介・大竹省二・仙波巌らと、「華北弘報写真協会」(中国の日本大使館の外郭団体)を設立(理事長は加藤、理事は林と仙波巌であったという)。中国での活動を盛んに行う。
- 戦後 - いったん写真から離れるも、1951年に東京工芸社から東京光芸社として、復した。
- 1970年 - 日本クロマート現像所(カラープリント現像所)を設立。
なお、回顧展などの加藤恭平を紹介する企画は開催されていない。
参考文献
- 朝開暮落 加藤恭平遺作集・加藤恭平著 林忠彦編・発行 加藤松子(1987年)
- 林忠彦写真全集(平凡社・1992年):ただし、「年譜」の1939年の欄に「写真家加藤恭平(のちにクロマート現像所経営)が主宰する東京光芸社に入社した」とあり、1942年の欄に「北京大使館の外郭団体として華北広報写真協会(加藤恭平、仙波巌、石津良介、大竹省二ら)を結成し北京へ渡る」とあるのみ(誤字は、「ママ」)。
- 昭和写真・全仕事・Series3・林忠彦(朝日新聞社、1982年)・147ページ
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