加藤俊夫 (政治家)とは? わかりやすく解説

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加藤俊夫 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 16:16 UTC 版)

加藤俊夫

加藤 俊夫[1](かとう としお、1885年明治18年)8月1日[2] - 1943年昭和18年)6月7日)は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

愛媛県新居郡新居浜村(現在の新居浜市)出身[2][3]。加藤省吾の長男[2][4][5]

東京正則中学校[1]日本大学専門部法律科を修業[2][3]1908年より広島市に出て、日の丸電線株式会社広島出張所を経営するなどし、さらに広島市場信用組合専務理事を務めた[2]

広島市会議員、同副議長、同議長広島県会議員、同議長を歴任する[3]1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では広島1区(当時)から非推薦で立候補して当選した。当選後は翼賛政治会に入り、大政翼賛会広島県協力会議長、同中央協力会議員となった[3]

翌1943年に死去した。

人物

加藤民部少輔(居村御代島にその城跡がある)の子孫である[2]1893年家督を相続する[4][5]。愛媛県在籍で、住所は広島県広島市宇品町[4][5]

家族・親族

加藤家
親戚

脚注

  1. ^ a b 『翼賛選挙大観』105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『愛媛県人物名鑑 第4-5輯』県外(かの部)8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月23日閲覧。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』162、163頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 上』カ24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 上』カ25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。

参考文献

  • 『愛媛県人物名鑑 第五輯』海南新聞社、1924年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 『翼賛選挙大観』朝日新聞社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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