利藤と妙椿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 09:41 UTC 版)
『美濃国諸旧記』・『美濃明細記』・『古代氏族系譜集成』など、多くの書物において斎藤利藤と同一人物とされてきた。しかし、横山住雄は著書『美濃の土岐・斎藤氏 利永・妙椿と一族』の中で斎藤利永の弟ではないかと論考し、その後、蜷川親元の日記『親元日記』や正徹の歌集「草根集」の中の記述から利藤の叔父(利永の弟)であることが判明した。更に、禅僧東沼周巌の詩文集『流水集』には斎藤越前守(利永)の弟に善恵寺が記載されており、妙椿は利永の弟で善通寺と同一人物と考えられている。これらの事から、妙椿自身は守護代にはなっておらず、利永の次は利藤が守護代職を継承した事も明らかになった。
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