出版業の開始
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「斎藤長三 (政治家)」の記事における「出版業の開始」の解説
慶応2年(1866年)1月26日佐渡国雑太郡石田村に生まれた。幼名は長蔵、後に長三。明治5年(1872年)寺子屋で石塚甚吾・東平兄弟に学び、1874年(明治7年)3月常念寺に開設された河原田郷学校に入学した。 1879年(明治12年)12月河原田小学校下等全科を修業し、1880年(明治13年)3月15日富田新右衛門方に奉公に出たが、先輩番頭と対立し、8月10日無断で帰宅した。9月石田村戸長近藤吉左衛門により役場筆生に採用されるも、すぐに退職し、同月東平等による私立幹和夜学校に入学した。 1883年(明治16年)12月3日徴兵回避のため戸主となり、父伝十郎が鍛冶町の自宅で創業した斎藤活版印刷所を引き継いだ。 1887年(明治20年)10月21日東平等の直率会・汲古舎を基に養気会を創立し、11月『北溟雑誌』、1890年(明治23年)6月『養気会誌』を創刊した。
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