再占領と叛乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:44 UTC 版)
当時アイルランドを統治していたキルデア伯フィッツジェラルド家はイングランドと協力関係にあったが、15世紀にはブルゴーニュ人部隊をダブリンに呼び寄せ、僭称者ランバート・シムネルをヨーク家の末裔としてイングランド王に即位させていた。1536年にトーマス・フィッツジェラルドが叛乱を起こすと、叛乱を鎮圧したヘンリー8世はアイルランドを完全にイングランドの統治下におさめることを決意した。ヘンリーは、それまでイングランド王のアイルランド君主としての称号であったアイルランド卿に代えて、アイルランドの有力諸侯が認めないにもかかわらずアイルランド王を称した。イングランドによる支配権拡大にはその後、100年余りの時間が費やされた。 このイングランドによる再占領は、エリザベス1世とジェームズ1世の時代に一応完了した。幾度かに及ぶアイルランドの叛乱を鎮圧すると、ダブリンに置かれたイングランドの行政府の全島に及ぶ支配権は確実なものになった。16世紀中期から17世紀にかけてはイングランドの植民地化が進行した。スコットランドとイングランドからの入植者がマンスター、アルスター地方へと移住し、カトリック刑罰法によりアイルランドの特権階級を形成した。
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