公立学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 08:16 UTC 版)
「金沢医科大学 (旧制)」の記事における「公立学校時代」の解説
1875年6月:金沢病院は石川県に移管され県病院に改組。修業年限は予科1年・本科5年となる。 スロイスの後任として蘭医ホルトルマンが赴任( - 1879年)。 1876年8月:金沢病院から医学生教育にあたる医学所が分離(金沢医学所)。 1879年11月:金沢医学所を金沢医学校と改称。修業年限を4年に短縮。 1884年4月:ドイツ人医師ローレッツによる講義(ドイツ医学教育の初め)。 1884年:文部省より医学校を医学校通則に基づく「甲種医学校」に認定。簡易速成の「乙種」と異なり、卒業生に無試験で医師免許を与えるものであった。
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