公営集合住宅へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 11:08 UTC 版)
この大火によって、木造家屋の地区が広範囲にわたって廃墟と化し、被災者が住まいを失ったため、香港政庁は被災者たちを収容するために、現場付近に「平房」と称される2階建ての長屋を建設した。これらの平房は、当時の工務局(中国語版)局長だったセオドア・ルイス・ボウリング(英語版)の中国名「包寧」から、「包寧平房」と称された。その後、火災現場跡には、6階ないし7階建てでH字型の形状をした再定住のための大きな集合住宅が29棟建設され、被災者たちが入居し、石硤尾再定住区(石硤尾徙置區:後の石硤尾邨)が設けられたが、このうち第9棟から第12棟までは国際連合から寄付された資金によって建設された。これ以降、香港政庁は、公共住宅の建設に取り組んで、下層市民たちに住まいを提供するようになり、こうした背景の中で、後の香港房屋委員会(中国語版)の前身となった香港屋宇建設委員会(中国語版)が創設された。
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