八条隆英
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八条 隆英(はちじょう たかひで、元禄15年4月5日(1702年5月1日) - 宝暦6年10月10日(1756年11月2日))は、江戸時代中期の公卿。
櫛笥隆賀の子で、八条家の始祖。中御門天皇の叔父[注釈 1]で、外祖父にあたる櫛笥隆賀と妻である六条局(隆英の生母)が天皇の養育にあたったことから、隆英本人も議奏などの要職を歴任している[1]。
官歴
- 正徳5年(1715年):従五位上、侍従
- 享保3年(1718年):正五位下
- 享保5年(1720年):左少将
- 享保6年(1721年):従四位下
- 享保10年(1725年):従四位上
- 享保11年(1726年):右中将
- 享保14年(1729年):正四位下
- 元文4年(1739年):従三位、参議
- 寛保2年(1742年):東照宮奉幣使
- 延享2年(1745年):正三位
- 延享4年(1747年):権中納言、踏歌外弁
- 宝暦2年(1754年):従二位
- 宝暦6年(1758年):正二位
系譜
脚注
注釈
出典
- ^ 石田俊「近世中期の朝廷運営と外戚」『近世公武の奥向構造』吉川弘文館、2021年(現論文2010年)
参考文献
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
固有名詞の分類
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