光秀寺 (さいたま市)とは? わかりやすく解説

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光秀寺 (さいたま市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 09:14 UTC 版)

光秀寺
所在地 埼玉県さいたま市岩槻区尾ケ崎888
位置 北緯35度54分35.0秒 東経139度43分41.0秒 / 北緯35.909722度 東経139.728056度 / 35.909722; 139.728056座標: 北緯35度54分35.0秒 東経139度43分41.0秒 / 北緯35.909722度 東経139.728056度 / 35.909722; 139.728056
山号 日峰山[1]
院号 福萬院[1]
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来[1]
創建年 永禄7年(1564年
開山 笑翁清馨
開基 三上三郎左衛門[1]
文化財 光秀寺のカヤの木(さいたま市指定天然記念物)
公式サイト 曹洞宗 光秀寺‐認可参禅道場・梅花講 永代供養塔
法人番号 8030005002683
光秀寺
光秀寺 (埼玉県)
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光秀寺(こうしゅうじ)は、埼玉県さいたま市岩槻区にある曹洞宗寺院

歴史

1564年永禄7年)、三上三郎左衛門の開基である。三郎左衛門は岩付城(後の岩槻城城主太田氏房の家臣である。久喜市の霊樹寺の末寺であった[2]

1591年天正19年)に、徳川家康より寺領3が安堵された。明治になり、一旦寺領は召し上げられたが、後に寺院維持の財産とすべく払い下げを受けた[3]

1885年(明治18年)に火災に遭い、建物を焼失した。境内に植わっていたカヤの木も幹の上部を焼失したが、枯死せずに済んでいる。この木はさいたま市の天然記念物に指定されている[2][3]

1974年昭和49年)、地蔵菩薩像「交通安全・秀光地蔵菩薩」が造立された。これは前年に交通事故で亡くなった秀光和尚の菩提を弔い、交通安全を祈願するために建てられた[3]

文化財

  • 光秀寺のカヤの木(さいたま市指定天然記念物 昭和53年3月29日指定)[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 尾ヶ崎村.
  2. ^ a b 大村進 著『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』さきたま出版会、1992年、93-94p
  3. ^ a b c 光秀寺について光秀寺
  4. ^ 光秀寺のカヤの木さいたま市

参考文献

  • 大村進 著『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』さきたま出版会、1992年
  • 「尾ヶ崎村 光秀寺」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ203埼玉郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764008/7 

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