光明寺文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 22:40 UTC 版)
光明寺は鎌倉時代に度会広光の創建とされ、平安時代末期からの古文書が多く保存されていた(光明寺文書)。そのうちのある部分は寛文10年(1670年)の火災で失われてしまったが、残された文書は出口延経およびその父である出口延佳の手によって謄写され、『光明寺旧記』と称された。光明寺残篇の発見もこの過程の中でのことである。天保年間に足代弘訓が原本の一部および謄写本からなる700通を製本として『光明寺古文書』30巻とした。『光明寺古文書』は現在国立公文書館内閣文庫に所蔵され、光明寺に残された原本のうち、前述の通り光明寺残篇は国の重要文化財に、残りの光明寺文書は三重県指定有形文化財に指定されている。
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