修行時代から嗣法するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 03:00 UTC 版)
「山本玄峰」の記事における「修行時代から嗣法するまで」の解説
翌年の1891年(明治24年)からは、滋賀県の永源寺、神戸の祥福寺、岡山県の宝福寺、岐阜県の虎渓山の専門道場に掛錫、通算して11年間修業した。1903年(明治36年)6月28日には師の太玄和尚が遷化し、後を継いで雪蹊寺の住職となる。そして雪蹊寺を復興する。また雪蹊寺住職の時に深くお慕いしている、円福寺の見性宗般を拝請して護国会という摂心会が開かれた。1908年(明治41年)には、虎渓山時代の友人柴田禅郁こと、太岳和尚に雪蹊寺を譲った(p.53)。そして念願だった京都八幡の円福寺に再度掛搭。円福僧堂師家の見性宗般の指導を受ける。そして円福僧堂七年間在錫して、1914年(大正3年)遂に宗般老師より嗣法する。(p.300 玄峰老師略年譜)
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