保田のモンキー乗り習得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 19:39 UTC 版)
「ハクチカラ」の記事における「保田のモンキー乗り習得」の解説
アメリカでの騎乗ではよいところのなかった保田であるが、このハクチカラ遠征によるアメリカ滞在中に日本競馬史に残る、保田自身にとっても大きな転機を迎えることになった。それは当地の騎乗技術、すなわちモンキー乗りを習得したことである。1900年代初頭から日本にもモンキー乗りは伝わっていたが、日本では長らく長鐙で伝統的な天神乗りとの中間的な「半モンキー」ともいうべき様式であった。保田自身も当時38歳で身体が硬くなりつつあり、年々鐙を長くして騎乗していたが、渡米以前からニュース映画でアメリカ競馬の様子を見てモンキー乗りに対する興味を抱いており、遠征を機にアメリカ式のモンキー乗り習得を試みた。 鐙を極端に短くしたフォームは足腰への負担が増すため、すぐに自分のものにすることはできなかったが、身体を慣らしながら徐々に鐙を短くしていった。帰国後もそのフォームで騎乗するようになると、従来追い込みの作戦を得意としていた保田が、逃げ・先行策も積極的に採って次々と勝利を挙げ、帰国の翌年から3年連続でリーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)の座に就いた。40歳を目前にして新しいフォームの習得に取り組んだ保田の姿勢はファンからも高く評価された。以後日本の騎手の間にもアメリカ式のモンキー乗りは広く普及し、保田は日本におけるモンキー乗りの祖としても名を残している。
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