供養碑・供養塔・無縁塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 21:27 UTC 版)
「宝暦の飢饉」の記事における「供養碑・供養塔・無縁塚」の解説
盛岡市にあった宗龍寺の跡地にある十六羅漢像と五智如来像は、東北地方の四大飢饉(元禄、宝暦、天明、天保)のときに出た多くの餓死者の供養のために建立されたものと伝わる。 仙台では、「飢饉」の字が刻まれた供養塔は92基あり、その大部分は仙台市内にあり、そのほか郡部などにも広く散在している。これらの内訳は、天明3年を記したものが42基、天保4年が6基、同7年が43基で、宝暦5年の凶作年を記したものは1基である。 一関市の萩荘村老流(おいながれ)には、宝暦の飢饉・天明の飢饉・天保の飢饉による市野々村(いちののむら)の死者を供養した「無縁塚」がある。これは天保15年(1844年)3月に建立されたもので、碑文や建碑の事情が刻まれている。
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