作成した意図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/24 01:58 UTC 版)
初代本庄喜助の直系は六代目までで途絶え、編者の七代目勇七は他家よりの養子である。六代目喜源太の宝暦の頃、細川藩では藩士に先祖附の提出を命じている。この編纂のため喜源太が集めた家の記録、古文書が多量にあったと思われ、藩へ提出した「先祖附」に洩れている事柄も多くあった。他家からの養子である勇七は家の歴史の失われるのを恐れ、子孫のために本庄家のすべてを記録した家系譜の作成を思い立った。そこには代々の当主以外の者の記事もわかるものはすべて記録に入れた。そのお陰で藩史料『細川家家臣先祖附』には見えない、宮本武蔵研究に重要な意味を持つ柴任三左衛門の貴重な記録が残った。
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