佐田武夫とは? わかりやすく解説

佐田武夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/13 04:08 UTC 版)

佐田 武夫(さた たけお、1925年大正14年〉6月16日[1] - 2008年平成20年〉11月9日)は、日本の実業家。元佐田建設社長。佐田一郎元参議院議員の娘婿で、息子は佐田玄一郎元衆議院議員。

バブル期には勢いに乗って好調な業績を維持したが、不幸にも建設業界の不況の波に飲み込まれてしまった。スポーツ社長として知られ、特にバスケットボールには造詣が深く、自社でチームを運営する傍ら、日本クラブバスケットボール連盟では会長を長年務めていた(晩年は名誉会長)。

生涯

1925年大正14年)、群馬県勢多郡粕川村(現・前橋市)に、松村瑳一郎の五男として生まれる[2]1942年昭和17年)群馬県立前橋工業学校を卒業[1]1947年(昭和22年)多賀工専(現・茨城大学工学部)を卒業。母校・前橋工業高校で教鞭を執る[2]

1950年(昭和25年)、佐田一郎の娘・露子と結婚し[2]、佐田建設に入社[2][1]。取締役、専務、副社長を歴任[2][1]1977年(昭和52年)佐田建設社長に就任[1]

1986年(昭和61年)黄綬褒章を受章[1]

2004年平成16年)バブル期に計画したゴルフ場開発の失敗などで140億円の債務超過に陥る。このため金融機関に240億円の金融支援を要請し、自らは責任を取って辞任した。

人物

スポーツ界に大きく貢献し、日本のスポーツ界を側面から支援したことでも知られる。自社にスケート部を設立し、楠瀬志保・石井奈緒らに活躍の機会を与えた。また、陸上競技100mハードル日本記録保持者の金沢イボンヌを受け入れ、陸上競技部を設立した。群馬県体育協会会長・群馬県空手道協会会長・日本倶楽部バスケットボール連盟会長・前橋体育協会会長などを歴任したが、2004年の佐田建設社長辞任に伴い、道義的責任を取って一切の公職を辞した。現在は[いつ?]日本クラブバスケットボール連盟名誉会長・群馬県体育協会名誉会長・群馬県空手道連盟名誉会長である。

ほかに伊香保カントリー倶楽部取締役・群馬テレビ取締役・あかぎ信用組合理事・前橋工業高校同窓会会長・群馬県建設業協会会長・沈設立坑協会理事・日本電信電話ユーザー協会群馬支部長・群馬県立前橋工業高等学校新築移転記念式典実行委員会委員長・NPO法人飛組理事などの要職を歴任した。

出典

  1. ^ a b c d e f 上毛新聞社出版局 編『群馬県人名鑑』上毛新聞社、1986年11月25日、237-238頁。doi:10.11501/12192835 (要登録)
  2. ^ a b c d e 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、234頁。doi:10.11501/12189010 (要登録)

関連人物

  • 関口恒五郎(元群馬県体育協会会長。関口が会長当時佐田は副会長を務めた)




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐田武夫」の関連用語

佐田武夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐田武夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐田武夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS