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佐々木野資敦


佐々木野資敦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 23:16 UTC 版)

 
佐々木野 資敦
時代 江戸時代前期
生誕 元和4年1月2日1618年1月28日
死没 寛文2年(1662年
官位 正三位非参議
主君 後光明天皇後西天皇
氏族 庭田家佐々木野家
父母 父:庭田重定、母:家女房
猶父:源守賢
兄弟 庭田重秀、資敦
資時
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佐々木野 資敦[1](ささきの すけあつ)は、江戸時代前期の公卿

生涯

※以下年齢表記は数え年

従三位前権中納言庭田重定の二男として、元和4年(1618年)に生まれる。その2年後、父が薨去する。

寛永2年(1625年)、8歳のとき明正天皇から後光明天皇への譲位の二日後に叙爵される。同9年、15歳で元服。承応元年、35歳で従三位に叙され、公卿となった。

寛文2年(1662年)、治部卿在任中に、薨去。45歳。

官歴

系譜

  • 父:庭田重定
  • 母:家女房[3]
    • 兄弟:庭田重秀
  • 猶父:守賢
  • 妻:不詳
    • 子:資時[4]

脚注

  1. ^ 『系図纂要』第八冊、宇多源氏一には、「資教」(すけのり)と記載されている。
  2. ^ 同日元服。
  3. ^ 『公卿補任』後光明天皇承応二年条。尻付には「母家女房。」とある。また、『系図纂要』第八冊、宇多源氏一には、「母家女」とある。
  4. ^ 『増補諸家知譜拙記』p.285 - 286。

参考文献

  • 『増補諸家知譜拙記』続群書類従完成会、1966年。
  • 系図纂要』第八冊(宝月圭吾・岩沢愿彦監修)名著出版、1974年。
  • 公卿補任』第三篇(黒板勝美編『新訂増補國史大系』第五十五巻)、吉川弘文館、2001年。


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