佐々木志賀二
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 03:49 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動佐々木 志賀二(ささき しがじ、1882年(明治15年)2月15日[1] – 1934年(昭和9年)9月18日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、貴族院議員。
経歴
岡山県和気郡和気町の長谷川家に生まれ、佐々木孚一郎の養子となった。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業した[3]。統監府理事庁属、朝鮮総督府中枢院属兼朝鮮総督府属、朝鮮総督府試補、朝鮮総督府道事務官となり、忠清北道財務部長、同第二部長、全羅北道第二部長、京畿道第二部長を歴任した[2]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。1925年(大正14年)には貴族院多額納税者議員に選出された。
その他に白菊酒造株式会社取締役を務めた[3]。また地主であったが、佐々木家小作人殖産組合を創設して小作問題に取り組んだ[4]。
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
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