伴正一とは? わかりやすく解説

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伴正一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 02:42 UTC 版)

伴 正一(ばん しょういち、1924年1月1日[1] - 2001年5月26日[2])は、日本の弁護士、外交官1972年から1977年まで第2代青年海外協力隊事務局長を務め[3]、青年海外協力隊事業の立ち上げに尽力した。

来歴

1924年1月1日香川県丸亀市に生まれる[1][注釈 1]。父親は、税務署に勤務する官吏[1]。1936年、(旧制土佐中学校に入学[4]

1938年海軍経理学校へ入学(33期)[5][注釈 2]。卒業後、霜月に配属され、同艦艇でマリアナ沖海戦にも参戦した[6]1945年6月内海海軍航空隊に異動[7]8月15日の終戦は、出張中の大分市で迎えた[7]

1946年第二復員省を辞し、東京大学に入学[8]1948年高等文官試験司法科に合格[9]。大学卒業後、弁護士として活動を始める[9]

1951年、外交官試験に合格し、外務省に入省[9]サンフランシスコ総領事館、プレトリア総領事館、パキスタン大使館などで勤務。

1972年、国際協力事業団(現:国際協力機構)の青年海外協力隊事務局長に就任[3]

1977年より、在中国日本大使館公使。1980年に帰国し、2月に外務省を退官する[10]。6月の第12回参議院議員通常選挙高知県選挙区から立候補。無所属で、民社党公明党などから推薦を受けた。しかし、得票率31.7%で落選した。

1983年第37回衆議院議員総選挙高知県全県区から立候補。この時は、公示直前に自由民主党の公認を得るが、落選。1990年第39回衆議院議員総選挙においても、高知県全県区から政党の公認および推薦なしで立候補したが、落選した。

著書

  • 『ボランティア・スピリット』(青年海外協力隊シリーズ) 講談社 1978年[注釈 3]

脚注

注釈

  1. ^ 「正一」という名前は元旦に生まれたからという理由[1]
  2. ^ 海軍経理学校へは首席合格。卒業は次席だった
  3. ^ 『ボランティア・スピリット』は絶版となっているが、WEBサイトで無償公開されている。伴正一. “ボランティア・スピリット”. 萬新報. 2016年2月1日閲覧。

出典

参考文献





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