伊藤窪の伊藤玄蕃屋敷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 05:27 UTC 版)
山梨県韮崎市穴山町に「伊藤窪」という地名がある。七里岩台上(標高約500m)の東部にある要害の地で、古くから武将の居住地に適していた。天正9年(1581年)の武田勝頼による新府城築城の際には、穴山の各集落に家臣団の屋敷を配したとされる。 「伊藤窪」の地名の起こりは、伊藤玄蕃の屋敷があったことによるもので、「甲斐国志」(文化11年(1814年)に成立した地誌)には、「伊藤窪ト呼ハ伊藤氏ノ居所 武田ノ弐拾人頭ニ伊藤玄蕃アリ 古時ヨリ関砦の在タル處ナランカ 今モ同氏ノ者多シ」とある。 「甲斐の山城と館 上巻 北部・中部編」(宮坂武男著、戒光祥出版、2014年)によると、集落の東部・堂ケ坂砦跡に隣接する地が「伊藤玄蕃屋敷」跡に比定されている。なお、同書は、「伊藤玄蕃屋敷」跡から南へ100m程の所に「伊豆の伊東」からやってきた武田氏の臣の「いとう氏」の屋敷があった」という伝承も記載している
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