仏眼院 (各務原市)とは? わかりやすく解説

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仏眼院 (各務原市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/24 06:01 UTC 版)

前渡不動尊矢熊山佛眼院
所在地 岐阜県各務原市前渡西町6-1975
位置 北緯35度23分5.84秒 東経136度52分51.28秒 / 北緯35.3849556度 東経136.8809111度 / 35.3849556; 136.8809111
山号 矢熊山
宗旨 古義真言宗
宗派 醍醐派
本尊 不動明王
創建年 江戸時代
開基 明心
正式名 矢熊山佛眼院
別称 前渡不動尊
前渡不動山佛眼院
札所等 美濃四国25番
法人番号 7200005002493
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不動山の上にある仏眼院(すいとぴあ江南から撮影)
承久の乱 供養塔

仏眼院佛眼院、ぶつがんいん)は、岐阜県各務原市前渡西町[1]にある真言宗醍醐派寺院である。

概要

山号は矢熊山。

通称「前渡不動尊(まえどふどうそん)」。正式名称より通称で呼ばれる事が多い。眼病治癒にご利益があるという。

本尊不動明王千葉県成田山の分身。

美濃四国札所第二十五札所。

沿革

前渡の旗本坪内家の家臣・山本軍八郎藤原盛行の一子・秀之助が盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願し開眼。その報恩のために成田不動於いて得度を受け僧名を明心と改名。

1890年明治23年)、標高87mの矢熊山(現在の不動山)の山頂付近に二間四面の仮堂を建て、諸人の厄除の霊場となる。

1891年(明治24年)、京都市醍醐山にあった土御門天皇1203年建仁3年)創建による豊臣秀吉の祈願所・仏眼院を移転、安置し奉る。

1927年昭和2年)、岐阜県の十名所に選ばれる。

現在の本堂は1900年(明治33年)に再建、1910年(明治43年)には鐘楼堂1928年(昭和3年)に弘法堂を建立。

仏眼院開山:明心、二代目:了明、三代目:了英、四代目:心行 5代目:優王。

所在地

  • 岐阜県各務原市前渡西町6丁目1975

交通アクセス

その他

脚注

外部リンク

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