今田の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:07 UTC 版)
今田という地名は鎌倉時代より見え、薩摩国伊作庄(荘)のうちの名田名であった。正応5年に伊作庄と日置北郷を巡り、領家と地頭の係争があり、和解の際に作成された伊作荘日置北郷領家雑掌地頭代和与状に「宮内・伊与倉・今田参箇名」とあり、伊作庄のうち今田村など3名田が地頭に渡されたが、名内の寺田及び神田には支配は及ばないこととされた。 その後も係争が終わらず文保元年にも再び和与が行われている。また、元亨4年には伊作庄が下地中分され伊作川以北は領家方となった。
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