今城定国
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今城定国(いまき さだくに、文政3年(1820年)3月19日 - 明治8年(1875年))は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、父の今城定章とともに廷臣八十八卿列参事件に参加した。
官歴
- 天保元年(1830年):正五位下
- 弘化2年(1845年):従四位下、侍従
- 弘化5年(1848年):従四位上
- 嘉永4年(1851年):正四位下、右近衛権少将
- 安政5年(1858年):左近衛権中将
- 元治元年(1864年):従三位、参議
- 慶應3年(1867年):正三位
- 明治元年(1868年):権中納言
系譜
- 父:今城定章
- 子:今城定時
- 子:今城定徳
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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