今井磯一郎
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今井 磯一郎(いまい いそいちろう、1841年(天保12年1月[1])- 1909年(明治42年)9月10日[1])は、幕末から明治時代にかけての肥料商、政治家、実業家。衆議院議員(4期)。旧姓・太田。
経歴
三河国加茂郡仁王村(愛知県東加茂郡豊栄村、松平村、松平町を経て現豊田市)で太田新蔵の第三子として生まれた[2]。河合真澄から漢学を学ぶ[2]。23歳で西加茂郡平井村(高橋村、挙母市を経て現豊田市)[3]の今井磯吉の養子となる[2]。養家は農業・商業を営んだ[2][3]。
愛知県会議員に挙げられ三河分県論を主張[3]。ほか、愛知県会常置委員、徴兵参事員、地方森林会議員、岡崎商業会議所会頭、岡崎米穀取引所理事長、三河電力社長などを歴任した[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では愛知県第9区から出馬し当選[1]。つづく第2回、第3回、第4回総選挙でも当選し衆議院議員を通算4期務めた[4]。
脚注
参考文献
- 三好守雄編『衆議院議員実伝』三好守雄、1890年。
- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
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